デジタルトランスフォーメーションと教育DX
~連載:教育・研修DXを支える学習の理論と実践(1)~
2024年12月22日 仲林 清(EduDX lab.Asia所長)
近年,デジタルトランスフォーメーション(DX)の重要性が叫ばれています.DXは業務の単なるデジタル化ではなく,デジタル技術を基盤としてサービスや組織文化を変革することを意味し,その本来の目的に照らして技術の適用方法を検討・設計する必要があります.教育・研修分野のDXにおいても,学習の効果や魅力を高めるために,デジタル技術を導入する目的を定めて,教育・研修の内容を理論に基づいて設計・再設計することが求められます.本連載では,このような観点から学習心理学やインストラクショナルデザインの理論やそれに基づく筆者の実践事例をご紹介します.今回は,DXのおさらいをしたうえで教育DXの意味を考えてみます.
デジタルトランスフォーメンション(DX)のおさらい
DXについてはすでにいろいろな解説がありますが,念のため内容をおさらいしておきます.以下は経済産業省のDXの定義です(経済産業省2024).
企業がビジネス環境の激しい変化に対応し,データとデジタル技術を活用して,顧客や社会のニーズを基に,製品やサービス,ビジネスモデルを変革するとともに,業務そのものや,組織,プロセス,企業文化・風土を変革し,競争上の優位性を確立すること.
ここで重要なことは,DXとは,単にデジタル技術の業務導入を意味しているのではなく,ビジネスモデルや組織の文化・風土の変革,競争優位の確立を視野に入れて,データ・デジタル技術を活用することを意味している,ということです.
また,DXに至るステップとして,「デジタイゼーション」「デジタライゼーション」「デジタルトランスフォーメーション(DX)」という説明も行われています.
デジタイゼーションは,デジタル技術によって業務の効率化が行われている段階です.紙の決裁書類を電子化したり,レジ打ち作業をバーコード読み取りに置き換えたり,といった例が該当します.Suicaなどの交通系ICカードによる切符・定期券の置き換えもデジタイゼーションに当たるでしょう.切符を買う手間や定期券を取り出す手間に加え,異なる会社間の乗り継ぎや定期券を使った乗り越し精算の手間も無くなっています.これらの事例はいずれも,作業ミスの削減,作業時間の短縮,利便性の向上といった効果を生んでいます.
2番目のデジタライゼーションはデジタル技術を活用した新価値創造の段階です.日本が開発したデジカメ(デジタルカメラ)を例に説明してみます.従来のフィルムカメラは,写真を見るためにフィルムの現像,印画紙への焼き付けという工程を必要としていましたが,デジカメはそのような手間を不要にしました.ここまでは業務の効率化(デジタイゼーション)ですが,デジカメはさらに新価値を生み出しています.例えば,画像データがデジタル化されることで,写真の補正や加工が可能になり,PCの画像処理ソフトやデジカメ本体でこれらの処理が簡単に行えるようになっています.また,画像認識機能で人物にピントの合った撮影などが自動的に行えます.さらにネットワーク接続によってSNSによる画像の共有が実現しました.これらはいずれもアナログのフィルムカメラでは不可能な新価値で,現在ではスマホに受け継がれています.
3番目の段階がデジタルトランスフォーメーション(DX)です.この段階は,新価値創造を超えて,企業が社会環境の変化に対応してデジタル技術を活用して継続的に変革していく状態を指します.よく取り上げられる例はAmazonです.ネット通販の強みは,売り場面積の制約が無くリアル店舗に比べ桁違いに多数の商品を品揃えできる点です.Amazonではこれに加えて顧客情報を利用したリコメンデーションが強みとなっています.Amazonを利用される方には,「よく一緒に購入されている商品」「この商品を買った人はこんな商品も買っています」というメッセージはおなじみだと思います.このメッセージはまさにその通りで,Amazonのシステムは利用者の購入履歴データを利用して,同じ商品を買った人,つまり好みの似た人を抽出し,それらの人が共通して購入している商品を自動的にリコメンド(推薦)しているのです.
この仕組みは,利用者側からすればサイトにある無数の商品から好みに合った適切な商品を推薦してくれるというメリットがあります.このメッセージにつられてついで買いをしてしまった,あるいは,通常の店舗では入手困難な希少品を推薦されたという経験をお持ちの方も多いと思います.一方,販売側からすれば,この仕組みによって,人手をまったく介さずに,利用者の多様な好みを反映した効果的なリコメンデーションを実現され売り上げが向上する,という効果があります.この仕組みはシンプルな発想ですが,店員が対応するリアル店舗でこのような処理を実行することは不可能で,フルオンラインならではの仕組みであることがご理解いただけると思います.
当初は書籍販売からスタートしたAmazonですが,現在ではリコメンデーションのプラットフォームの上に衣料品・家電・食料品,さらには電子書籍や音楽・動画配信など取扱商品を拡大しています.この仕組みで重要なことは,膨大な顧客の購買情報,つまりデータが活用されて価値を生んでいることです.これはまさに,「データとデジタル技術」を活用した継続的変革,すなわちデジタルトランスフォーメーションと言えるでしょう.
教育DXとは?
前節で事例を交えながらDXのおさらいをしました.次にこれに対比しながら教育DXについて考えてみたいと思います.教育DXについては,文部科学省の初中等教育を対象にした施策(文部科学省2024)が示されていますが,その内容は教育データの利活用が軸になっていて,(1) 教育データの標準化,(2) 標準化に則ったツールの整備,(3) 教育データの分析・利活用,の3つのステップが示されています.ここでは,前節で述べたDXのステップに沿って,学校教育に限定されずに教育DXを考えてみます.
DXの最初のステップは「デジタイゼーション=デジタル技術による業務の効率化」です.教育の文脈で考えれば,紙の教科書や教材の電子化,学習履歴や成績情報のデジタル化などが該当するでしょう.教材が電子化されれば,配布の手間が軽減されたり,内容検索が容易になります.成績情報のデジタル化は転記ミスの軽減や集計作業の簡易化につながります.これらによって,作業時間の短縮,ミスの削減,利便性の向上といった効率化が図られることになります.
次のステップは「デジタライゼーション=デジタル技術による新価値創造」です.この一つの例は,学習管理システム(LMS)を基盤とする学習環境の構築と考えられます.LMSを導入すると,科目を構成するコンテンツ,学習者情報,学習履歴情報がLMS上に統合されます.コンテンツには,解説資料,動画,テスト,レポート課題や,グループ学習のためのコミュニケーションツールなどが含まれます.これによって,学習者はLMS上のコンテンツを利用して,必要な学びをいつでもどこでも進めることが可能になります.また,学習者の学習履歴情報を参照して,教員やシステムが個別にフィードバックを行うことができます.例えば,テストの解答状況を参照して,ヒントを提示したり関連する解説コンテンツを提示する,といったフィードバックをシステムが即時に自動的に行うことが可能になります.これによって学習者個々の理解状況に対応した双方向性のある学習環境が実現できます.学習者とのやりとりは,フィードバックだけでなく質問対応など,昨今のAI技術を適用することで,応答内容の充実や学習効果の向上が期待されます.このような学習環境を一人の講師が複数の学習者に講義を行う対面型研修で実現するのは非常に困難で,LMSというデジタル技術導入によって「いつでもどこでも即時に」「双方向性を有する」「個別化された」学習環境という新しい価値が実現されることになります.
3番目のステップは「デジタルトランスフォーメーション=社会環境の変化に対応した継続的変革」です.これについては,個人の学びだけでなく,組織の変化との関係で捉える必要があります.企業などの組織が継続的に変革するためには,個人個人の能力の向上が不可欠でしょう.そのためには,組織の目的に沿ったスキルを個人個人が身につけるための学びの機会を提供することが必要になります.デジタル技術でこのような機会を提供する方法をAmazonのビジネスモデルになぞらえてみると,個人個人の情報を詳細に活用し,それに基づいて組織の目的に対して最適化された学びを提供することが考えられます.
例えば,LMSを職場の業務支援システムと統合して,業務内容や個人のスキルに応じたリコメンド機能を備えたマイクロ・ラーニングを組み込めば,現場での業務自体とミクロなレベルの学びの一体化が可能になります.また,これによって社員の業務行動情報やLMSに蓄積された学習履歴を用いれば,企業として必要なスキルを向上させるために,研修を含めたマクロなレベルの学びをどのように行えばいいのかのエビデンスの収集が可能になります.「現場のミクロな業務支援」→「スキルの把握・評価」→「組織の目的に沿ったマクロなスキル向上の施策」→「現場の能力向上」というサイクルを回すことができれば,研修のための研修ではなく,組織の継続的変革のための研修が可能になるでしょう.近年のリスキリングや人的資本経営などもこのような観点で捉えることができると考えられます.
ここで重要になるのは,個人の行動やスキルを把握するためにどのような方法でどのようなデータを取得するかです.このようなデータの例として,同僚・上司や顧客との対話やメールなどのコミュニケーションデータ,業務のレポートや記録などが挙げられるでしょう.このようなデータを分析することは,以前は非常に困難でしたが,近年の自然言語処理や生成AIの進歩はそのようなデータの分析を可能にしつつあります.ここでも重要なのは,業務支援システムやLMSに蓄積された行動履歴や学習履歴などの「データ」であり,それが「データとデジタル技術」を活用した継続的変革,すなわち教育のデジタルトランスフォーメーションを実現する鍵になると考えられます.また,Amazonが書籍販売からスタートして取扱い商品の種別を拡大していったように,上記の枠組みも,当初は行動データの収集・評価のやりやすい業務を対象とし,徐々に対象業務範囲を拡大していくことが考えられます.
今回は,企業などのDXと教育DXを対比して,効率化,新価値創造,継続的変革の3つの段階で考えてみました.次回以降は,教育・研修の目的に照らして学習の効果や魅力を高めるという観点から,学習心理学やインストラクショナルデザインの理論・実践事例を紹介していきます.
参考文献
経済産業省(2024).デジタルガバナンス・コード3.0 ~DX経営による企業価値向上に向けて~,
https://www.meti.go.jp/policy/it_policy/investment/dgc/dgc3.0.pdf,2024年12月22日参照
文部科学省(2024).教育DX(デジタルトランスフォーメーション)の推進について,
https://www.mext.go.jp/a_menu/other/data_00008.htm,2024年12月22日参照