デジタルバッジとは何か?
〜連載:インストラクショナルデザインから見るデジタルバッジの可能性(2)~
2024年9月22日 天野 慧(グロービス経営大学院主任研究員)
みなさんは、デジタルバッジと聞いてどんなものを思い浮かべるだろうか。ビデオゲームでよく遊ぶ人であれば、ゲーム内で何らかの活動を行ったことによって発行されるバッジを思い浮かべるかもしれない。あるいは、飲食店に来店するとスマートフォンアプリに貯めることができるポイントバッジを思い浮かべるかもしれない。本連載の第一回でも指摘したように、こうした「ご褒美」としてのバッジが想起される場合が多い。面倒くさいことや、放っておかれたら相手が自ら行動を起こさないことに対して、行動を仕向ける外発的な動機づけを促す道具としてイメージされる場合が多いのではないかと思われる。それに対して、デジタルバッジの教育への利活用の新たな可能性を提案したのが、教育工学の国際会議AECTの元会長であり、教授システム学の研究教育拠点であるペンシルバニア州立大学で教員を務めたKyle Peckである。PeckはNASA等との共同研究を通じて、外発的動機づけを促すツールとは異なるデジタルバッジの活用を提案した。デジタルバッジの教育分野での研究や実践が盛んになるのは2012年前後からであるが、Peckは初期にデジタルバッジの教育における革新的な活用可能性を見出した一人である。今回はまず、教育工学研究者であるPeckがどのような可能性をデジタルバッジに見出したのか、見ていくことにしよう。
Peckのデジタルバッジモデル
Peck(2015)は「デジタルバッジとは、バッジを発行する個人あるいは組織とバッジを獲得するのに満たすべき基準、証拠を評価するのに用いられる道具,学習の証拠自体についての情報を明らかにするメタデータを含む「クリック可能な」グラフィックスである」 (天野 2020,P25)と定義している。図1に示すようにデジタルバッジ自体は画像データであるが、学習に関する多様な情報をメタデータとして記録することができる。そのため、誰が何をできるようになったのか、学習目標の達成を証拠とともに詳細に証明する仕組みとして活用できる。
教育工学では伝統的に、単に学習者が規定の時間を過ごしたがゆえに学習者に教育プログラムの「修了」を認定するのではなく、学習者が何をできるようになったのか、スキルの習得を確認したうえで「修了」を認める習得主義のアプローチを採用してきた。Peckはデジタルバッジが外発的動機づけを促すツールではなく、こうした教育工学の伝統に基づいて、学習成果の達成を豊富な情報ともにより妥当なかたちで記録・表示できるツールであると指摘した。
従来の紙ベースの修了証や成績表との違い
Peckのデジタルバッジモデルを踏まえつつ、デジタルバッジを教育実践で活用する意味をさらに詳細に検討したい。ここでは、デジタルバッジと従来の紙ベースの修了証や成績表とを比較することを通じて、デジタルバッジの特徴を示す。紙ベースの修了証や成績表では、学習者があるプログラムに合格したことや、秀、優、良、可等、どの程度の成績だったのかが記載されている。これらの情報は学習者がどんな学習課題に取り組んだ結果として授与されたものなのか、どんな評価基準に基づいて判定されたものなのかといった評価の基準などが示されていなければ、プログラムの外部の人にとっては、その意義を理解することが困難である。たとえば、企業の採用担当者が、学生の成績表を見て、「プログラミング概論」という授業で「優」の評価を得たと知ったとする。採用担当者は、その学生が何をできるのか、どんなスキルを所持しているのかを判断できるだろうか。おそらく困難だろう。一方で、デジタルバッジであれば、より豊富な情報を付随させることができるので、学習者がどんなプロジェクトや学習課題に取り組んだのか、それをどのような水準でできるようになったのかをより精緻に表現することができる。企業の採用担当者はより正当に学習者のスキルや能力を判断することができ、より適した仕事やプロジェクトを学習者に割り当てることが可能になる。採用の場面で、学習者が自分のスキルをアピールする以外にも、たとえば、大学院等の高等教育への進学や業界の上位資格に挑戦しようとする際に、デジタルバッジは学習者が自分のスキルや知識を証明するための仕組みとして活用することができるだろう。
さらに、デジタルバッジの利点として、紙ベースの修了証に比べて、学習者による管理が容易になるという点が挙げられる。デジタルバッジの場合、その画像データを持っていれば、機関へ情報を照会したり、発行をお願いしたりしなくとも、その教育機関に認定されたスキルの証明が可能になる。従来の紙ベースの証明証の場合は、それが必要になる度に、教育機関に発行をお願いする必要があり、その機関が仮に事業をやめてしまった場合には入手ができず、自分のスキル証明が困難になる。デジタルバッジの場合、その画像データを持っていれば、機関へ情報を照会したり、発行をお願いしたりしなくとも、その教育機関に認定されたスキルの証明が可能になる。また、デジタルバッジを運用するシステムには、学習目標の達成の証としてバッジを発行する機能、メタデータとともにバッジを表示することができる機能、さまざまなプログラムで得たバッジを管理する機能の3つが必要になるが、それらの機能がシステムや機関を超えて相互運用可能となるように、オープンバッジという技術標準が策定されている。オープンバッジがめざしているのは、たとえば、学習者が学校A、学校Bと異なる機関の異なるシステムで発行されたバッジを所持していたとしても、それぞれのシステムが技術標準を満たしていれば、別の機関で発行されたバッジであったとしても、どちらのシステムでもバッジを表示・管理できるようになることである。このオープンバッジという技術標準は、Mozillaがマッカーサー財団の支援を受けて開発をはじめたが、2017年以降、1EdTech Consortium Inc.(旧IMS Global Learning Consortium)に運営を移行している。また、オープンバッジは数年に一度、技術の発展にあわせて新たなバージョンが公開されている。オープンバッジという技術標準には、今後も様々な変化が予想されるが、デジタルバッジの教育現場での多様な活用可能性を広げるものとなることを期待したい。
本稿では、Peckのデジタルバッジをベースとして、単なる外発的な動機づけを促すツールとは異なる教育におけるデジタルバッジの可能性を示した。次回は、この発想に基づいて、さらにデジタルバッジの活用可能性に関する議論を広げたい。
参考文献
天野慧(2020)習得主義に基づいた研修設計を支援する手法の開発-デジタルバッジの活用に着目して-.熊本大学大学院 社会文化科学教育部 教授システム学専攻 2019年度提出博士論文
1EdTech Consortium Inc. (n.d.) Open Badges
https://www.1edtech.org/standards/open-badges 2024年9月22日参照
Peck,K. L. (2015). The Future’s So Bright I Gotta Wear Shades. TechTrends,59 (1):24-30.